コアラさんが歩いた!【19話】

みなさん

こんにちは。

以前書いた【17話】や【18話】では

当時のイスラエルを取り巻く国際情勢や

イエス様と同時代に生きた

バプテスマのヨハネの状況など

わりと緊張感ある内容で

疲れちゃったかもしれないので

ここでちょっと息抜きしようと思います。

イエス様が命を狙われながらも伝え歩いた

神様の御言葉ですが

神様のメッセージ自体は

ひたすら愛のメッセージでした。

その愛のメッセージは

律法にもありました。

そうなんですか!?

律法って厳しそうなイメージだけど….

確かに、神様との契約を破るとこうなるよ

っていう内容が厳しいですね。

ただ、律法の内容自体は

弱い立場の人々を思いやっていたり

慈しみ深い面を持ち合わせています。

もとをたどればユダヤ教の神様も

イエス様が伝えた神様と同じ神様。

神様の本質は今も昔も変わっていないのです。

<民数記 6:22~26節>

主はまたモーセに言われた、

「アロンと

その子たちに言いなさい、

『あなたがたは

イスラエルの人々を祝福して

このように

言わなければならない。

「願わくは

主があなたを祝福し、

あなたを守られるように。

願わくは主がみ顔をもって

あなたを照し、

あなたを恵まれるように。

願わくは主が

み顔をあなたに向け、

あなたに

平安を賜わるように」』。

主によって祝福と平安が訪れるよう祈りなさい

と、教えてくださいました。

ある場面では、

イスラエルの民は神様の子供だと仰っています。

<申命記 14章1節より抜粋>

「あなたがたは

あなたがたの神、

主の子供である。」

ところで、律法では

神様以外を拝んではいけないとあるため

厳しく排他的なイメージかもしれません。

こちらについては

少し視点を変えてみたいと思います。

神様はイスラエル民族を

結婚前の女性(嫁ぎ先は神様をイメージ)

として表現されることがあります。

愛するイスラエル民族が他の神々を拝むことは

愛する女性が別の相手に熱をあげてる状況です。

人間どうしの関係を考えても想像がつくと思いますが

愛するパートナーの不貞

(聖書の言葉で言うと姦淫)を目の当たりにした神様は

心に衝撃を受け、

怒りや妬みの感情が

沸き起こったかもしれません。

神様は「わたしは妬む神だ」と仰っていますが

ただ単に嫉妬深いことを伝えたかったというよりは

あなたを愛してるからこそ

異邦の神々を信仰することは

神様にとって大きな悲しみになるし

嫉妬にもつながるという

気持ちを伝えたかったのでしょうか。

話は変わりますが

神様が律法で定めたお祭りでは

神様は喜び楽しむよう仰っています。

<申命記 16:14~18節>

「その祭の時には、

あなたはむすこ、

娘、しもべ、

はしためおよび

町の内におるレビびと、

寄留の他国人、

孤児、寡婦と共に

喜び楽しまなければ

ならない。

主が選ばれる場所で

七日の間、

あなたの神、

主のために祭を

行わなければならない。

あなたの神、

主はすべての産物と、

手のすべての

わざとにおいて、

あなたを祝福されるから、

あなたは大いに

喜び楽しまなければ

ならない。」

命令形なので、圧を感じてしまいますが、

ただ宗教行事としてやりなさいって

強制しているというよりは

弱い立場の人たちもみんな呼んで

あなたたちみんなを祝福するから

喜んだり楽しんだりして過ごしてほしい

という願いが込められてるのかなって

コアラさんは思いました。

そこには

神様が人間と喜びを分かち合いたい

そんな願いが

込められているような気がしたんです。

あくまでコアラさんの個人的感想ですが。

旧約聖書を読みながら

表現は多少違うにしても

いつの時代も神様は変わらず

人々に愛を伝えたかったのでは

と思うようになりました。

イエス様は

こんな風に仰っています。

<マタイによる福音書 5章17節>

「わたしが律法や

預言者を

廃するためにきた、

と思ってはならない。

廃するためではなく、

成就するために

きたのである。」

神様の本質を知るイエス様だからこそ

律法の戒めの中で一番大切なのは

神様を愛することと

自分を愛するように隣人を愛することだと

様々な喩えを通しても語られ

多くの人々を癒してくださっていたのかもしれないですね。

なんだか心に染みました。

コアラさんも赤ちゃんコアラに

神様の愛を伝えたいな。