コアラさんが歩いた!【22話】

みなさん

こんにちは。

今日はお墓関連の話です。

もしかして終活ですか?

あ、いえ、あの・・その・・・なんというか

終活のずーっとずーっとあとになる話です。

???????

コアラさんが歩いた!【13話】の時に

神様の導きのもと

イスラエル民族全員を

エジプトから脱出させたモーセが

先祖のヨセフの骨を持って

エジプトを出た話がありましたが

今日はその続きの話です。

コアラさん

モーセが携え出たヨセフの骨が

どうなったか気になって

必死で探しちゃいました。

そしたら、見つけました!

骨・・・

じゃなくて、

ヨセフの骨がどこに埋葬されたかを。

<ヨシュア記 24:32>

「イスラエルの人々が、

エジプトから

携え上ったヨセフの骨は、

むかしヤコブが銀百枚で、

シケムの父ハモルの

子らから買い取った

シケムのうちの

地所の一部に葬られた。

これはヨセフの子孫の

嗣業となった。」

無事落ち着きましたね。

ところで、ヤコブってだあれ?

ヤコブというのは

かつてエジプトの司を務めたヨセフのお父さんです。

ヨセフの何代も後の時代になって

エジプトを脱出した人たちの子孫たちが

先祖たちがもともと住んでた

カナンという地に戻ってきたのだけど

イスラエルの人々が400年ほどその地を離れていた間に

別の部族達がカナンに定住していたから

それらの部族達と戦いながら

カナンの地に入りました。

そして、ヨセフの父ヤコブが

エジプトに移住する前に購入していた土地に

ヨセフの骨を葬り

ヨセフの父ヤコブが購入していた地は

ヨセフの子孫たちの土地となりました。

それにしても長旅でしたね・・・・

そして、その長旅の途中で

驚きの出来事がありました。

ヨセフの骨を葬ったのは

ヨセフの骨を携えてきた

モーセではありませんでした。

えっっ・・・・!?

モーセはどこにいっちゃったんですか?

モーセは

カナンの地に入る前

シンの荒野で亡くなっていたのです。

えーーーーーーーーーっっ!!!!(゚Д゚;)

話すと長くなるので省きますが

エジプトを脱出してから荒野での生活は

民たちにとって苦しいものでした。

しかも、カナンの地に入るために

強そうな部族と戦わないといけないし。。

「もうエジプト帰るわー」

っていう展開になったとき

神様が決断を下します。

“あなたがたがわたし(神様)の言ったことを

信じないので

エジプトから出てきた人たちは

ヨシュアとカレブ以外、

みなシンの荒野にとどまり

そこで一生を終える。

あなたがたの死んだ後に

あなたがたの子供たちとヨシュアとカレブが

カナンの地に入るだろう”と。

ガーーーーーーン!Σ( ̄ロ ̄lll)

それで民たちは40年荒野でさまようことになるのですが

モーセとアロンは

荒野での生活に文句たらたらの民に対応中、

あることが引き金で

モーセとアロンもカナンの地に入れないと

神様から告げられてしまうのです。

なんということでしょうか(´;ω;`)

最後の最後まで

神様と民たちの間に挟まれ

苦労に苦労を重ねたモーセまでが

カナンの地に入れず

亡くなってしまうなんて・・・

そんな事情があり

ヨセフの骨も荒野で40年さまよったあと

ヨシュア率いるイスラエルの民たちは

神様が約束したカナンの地に入ることができました。

コアラさん、これを読んで思ったのは

ストレスがかかる状況で神様を信じきるって

結構難しいんだなぁということでした。

エジプト脱出後、

民たちはシンの荒野という見知らぬ土地で

飲み食いに苦労しながら

天幕を張って生活をしていました。

民たちの不平不満を聞く度に

神様は食べ物や飲み物をくださってたんですが、

民たちは見知らぬ土地で

ストレスと不安がマックスに達してたようです。

人間、寝食が安定しないとメンタルやられますからね…

ただ、神様にとっては

せっかく奴隷の身から自由の身になるよう助けたのに

今の生活が苦しいと

不満や不安でいっぱいになり

神様の言うことを信じきれずに

エジプトに帰りたいと訴える民たちに対して

「こんなに助けてるし

約束してるのに

何で信じてくれないんだろう」って

悲しい気持ちだったのかもしれないです。

実はコアラさん

自分が大変にな目に遭うと

「なんでですか、神様ー!!!」

って結構怒ってたから

身に覚えがありすぎて青ざめました・・・

コアラさんも同じような文句たれながら

日々の生活を生きてますよ(;^ω^)

人との関係も信頼関係が大事だけど

神様と人間との関係も

相手の事を信じるっていう

信頼関係はすごく大事ですねぇ。

今起きてることだけに囚われず

過去、神様が助けてくださったことを忘れず

今も、そしてこれからも

共にして助けてくださると

神様を信頼して

生きていけますように。