コアラさんが歩いた!【8話】

コアラさん

初めて聖書を開いた時

マタイによる福音書1章で

ひたすら人の名前が出てきたら

聖書を読む気が一気に失せてしまい

しばらく読むのをやめてました。

初めて聖書を読む方は

順序通り読まなくても

自分にとって読みやすい箇所から

パラバラ読んでみるのもありだと思います。

ところで、今日は

そのマタイによる福音書1章にも

出てくるお名前

「アブラハム」についてです。

<マタイによる福音書1章1節>

アブラハムの子である

ダビデの子、

イエス・キリストの系図。

ここでは、実際の子供という意味ではなく

子孫という意味で語られてます。

なので、

アブラハムの子孫であるダビデ

ダビデの子孫であるキリストの系図

という内容です。

アブラハムの親は

唯一の神様を信じていた人ではなく

別の信仰をもつ人でしたが

アブラハム自身は神様の声に聞き従い

メソポタミヤ地域にある

カルデヤのウルという地を離れ

地中海とヨルダン川、

死海に挟まれた地域にある

カナンの地を目指しました。

旧約聖書を読むと

アブラハムがどんな時でも

神様の言葉に聞き従ったことが

書かれています。

あるとき神様が

あなたの息子イサクを

神の燔祭として捧げなさい、と仰ったので

アブラハムは言われた通り

息子を山に連れて行きます。

たきぎの上に息子を乗せ

刃物で息子を殺そうとした瞬間

神様のみ使いからストップがかかります。

<創世記22章12節~14節>

み使いが言った

「わらべに

手をかけてはならない。

また何も彼にしては

いけない。

あなたの子、

あなたのひとり子をさえ、

わたしのために

惜しまないので、

あなたが

神を恐れる者であることを

わたしは今知った。」

この時アブラハムが

目をあげて見ると、

うしろに、

角をやぶに掛けている

一頭の雄羊がいた。

アブラハムは行って

その雄羊を捕え、

それをその子のかわりに

燔祭としてささげた。

それでアブラハムは

その所の名を

アドナイ・エレと呼んだ。

これにより、

人々は今日もなお

「主の山に備えあり」

と言う。 

ひゃ~~~っ、

息子が無事でよかったです……

神様はアブラハムの息子イサクを

捧げさせるつもりじゃなかったんですね。

でも、コアラさん

初めてこの場面を読んだ時、

かなり引きました。。。

いくら信仰を試すと言っても

これはありえなくないですか?

コアラさん

神様に試されることだとしても

背中に乗せた

赤ちゃんコアラは

決して渡せませーん(つд⊂)

試すのなら

子供じゃなくて

違う方法でお願いします!

実際に捧げなかったとしても

怖すぎです・・・・

何年もそのわだかまりは

ぬぐえないままでしたが、

ある日、

古代のとある宗教で

子を犠牲に捧げる儀式があったと知りました。

まじですか…(゚Д゚;)  

当時のアブラハムは

今の社会常識とは

全く違う世界で生きてたんですね。

コアラさんが生きてる時と、

時代背景が違い過ぎることを

今さらながら理解しました。

今からざっと4000年程前のことですから

コアラさんの小さい頭では理解できない事が

たくさん起きてた時代なんでしょう。

自分の息子さえ

捧げる覚悟を決めるくらいに

神様に従順したアブラハム

天のみ使いが

アブラハムを呼んでこう言います。

<創世記 22:16~18節>

「主は言われた、

『わたしは

自分をさして誓う。

あなたがこの事をし、

あなたの子、

あなたのひとり子をも

惜しまなかったので、

わたしは大いに

あなたを祝福し、

大いにあなたの子孫を

ふやして、

天の星のように、

浜べの砂のようにする。

あなたの子孫は

敵の門を打ち取り、

また地のもろもろの国民は

あなたの子孫によって

祝福を得るであろう。

あなたが

わたしの言葉に

従ったからである』」。

こうして

息子のイサクも無事に成長し

その子孫達が唯一の神様を信じて生きていき

アブラハムは

子孫となるユダヤ教の人々から

「信仰の父」と呼ばれる存在になりました。

「アブラハム」という人物の名前は

旧約聖書、新訳聖書どちらにも

お名前がたくさん登場する人物です。

アブラハムは「信仰の父」

その信仰の父の血縁の子孫から

キリストがお生まれになったと

マタイによる福音書で語っていたんですね。

たった一行だけどなかなかに深い。

うーむ。

今日は頑張ったのでこれくらいにします。

今日もコアラさんは

ちょっとだけ

歩いてみたのでした。